今回は、本ブログの構成について解説します。
そして、本ブログが参考にさせて頂いている論語本を紹介します。
論語の構成、論語本の構成、本ブログの構成
論語は、約500章あります。全10巻20篇にまとめられています。
篇の名称は(「子曰」を除く)各篇の最初の二文字(または三文字)を採って名付けられています。
本ブログでは、各章を「学而第一(1)」のように表記します。
・篇の名称(学而)
・篇の順番(第一)
・その篇中の順番(1)
基本的には、論語の記載順に鑑賞していきますが、ブログの趣旨に合わない章は扱わないことがあります。
論語の「原文」は、当然中国語で書かれています。漢字が羅列されています。
それを日本語で読みやすくしたものが「書き下し文」です。
論語の学びでみられる「素読」では、その「書き下し文」を、声を出して読みます。
「訳」は、その「書き下し文」を現代語訳したものです。
「訳」の理解を助けるための「補足情報と解説」が付記されます。
私たちが入手できる論語本には、「原文」、「書き下し文」、「訳」、「補足情報と解説」の全てがあるものもあれば、そうでないものまで、様々あります。
本ブログでは、「書き下し文」、「訳」、「鑑賞」を記載します。
学而第一(1)の第1節を例に挙げます。
書き下し文:『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE より
子曰く、学びて時にこれを習う、また悦しからずや。
先師がいわれた。――
「聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。何と生き甲斐のある生活だろう。・・・」
「鑑賞」の例は割愛します。
論語本の紹介
本ブログで参考にさせて頂いている論語本を紹介します。
著者(訳者)のアイウエオ順に紹介します。
出版社の紹介文を引用して紹介します。
また、学而第一(1)第1節の訳を紹介します。
論語本によって、様々な訳があることが分かると思います。
◎感想を簡単に述べます。
① 石本道明・青木洋司『論語 朱熹の本文訳と別解』明徳出版社
出版社の紹介文
論語の注釈書として最も読まれたのは朱熹(しゅき)の『論語集注(ろんごしっちゅう)』である。本書は論語全文につき、この書に基づいて書き下し文、現代訳を施し、さらに、他の儒者の解釈は別解として掲げ、論語解釈の多様性を明示した。
学而第一(1)第1節の訳:
孔先生がおっしゃるには、「自らが学んだ事柄の道理や、古の聖賢が遺した言行などを思い返しては、時に触れいつでも復習し、身に習熟するのは、なんと心嬉しいではあるまいか(人生においてこれ以上嬉しいことはない)。
◎丁寧な読みやすい訳です。
別解として掲載されている、荻生徂徠、伊藤仁斎らの解釈も参考になります。
出版社の紹介文
「仁」とは誠実な思いやり,人間愛──.のびやかにして剛毅,おおらかな楽観主義と陽性の健やかさに満ちた,人間・孔子.はつらつと弟子たちと語り合い,学問や音楽を心から愛し,どんな不遇のどん底でもユーモアを失わずに生きぬいた,力強い「肯定の思想」とは.今こそ新鮮な大古典の魅力を存分に味わえる,必携の一冊。
学而第一(1)第1節の訳:
先生は言われた。「学んだことをしかるべきときに復習するのは、悦ばしいことではないか。・・・」。
◎書き下し文に沿った、素直な分かり易い訳です。
補足情報や索引も充実しています。
情報が豊富なので分厚い本になっていますが、入門書として適していると思います。
出版社の紹介文
第一人者渾身の訳注、待望の新版!漢字一字から検索できる新索引付き!人間とは何か。溟濛の時代にあって、人はいかに生くべきか。現代と交響する至高の古典に、われわれは親しみ、学んできた。だが、さらに多くの宝石のように美しいことばが、人知れず眠っている――。儒教学の第一人者が『論語』の本質を読み切り、独自の解釈、達意の現代語訳を施す。漢字一字から検索できる「手がかり索引」等を増補した決定新版!
学而第一(1)第1節の訳:
老先生は、晩年に心境をこう表わされた。[たとい不遇なときであっても]学ぶことを続け、[いつでもそれを活用できるように]常に復習する。そのようにして自分の身についているのは、何と愉快ではないか。
◎訳中に[ ]などで補足していて、読者の理解を助けるよう配慮されています。
補足情報では、儒・儒者に関わる情報が豊富です。また、索引も充実しています。
出版社の紹介文
古代中国の大古典「四書」のひとつで,孔子とその弟子たちの言行を集録したもの.古い道徳主義のイメージをもつ人もあろうが,人間として守るべきまた行うべき,しごく当り前のことが簡潔な言葉で記されている.長年にわたって親しまれてきた岩波文庫版『論語』がさらに読みやすくなった改訂新版。
学而第一(1)第1節の訳:
先生が言われた。「学んでは適切な時期におさらいする、いかにも心嬉しいことだね。[そのたびに理解が深まって向上していくのだから。]
◎書き下し文に沿った読みやすい訳です。
[ ]などで補足していて、読者の理解を助けるよう配慮されています。
出版社の紹介文
詩人・教育者として昭和初期に活躍した下村湖人。名作『次郎物語』などで知られるこの人物がこよなく愛していたのが「論語」である。本作品はその湖人が逝去する前年に刊行された論語の現代訳であり、いまの時代にもまったく通用する名作である。
学而第一(1)第1節の訳:
先師がいわれた。――
「聖賢の道を学び、あらゆる機会に思索体験をつんで、それを自分の血肉とする。何と生き甲斐のある生活だろう。・・・」
◎本ブログで採用させて頂きます。
古い文体が多少気になるところはありますが、趣のある深い訳を楽しむことができます。
出版社の紹介文
「学ぶこと」の意味から「善と悪」の問題まで、二千五百年前の「白熱教室」開講! 政治や経済、社会の疑問や、人間関係の悩みなど、生きる上でのあらゆる「問い」に孔子センセイが答える「論語」。高橋源一郎による完全訳。
学而第一(1)第1節の訳:
センセイはこうおっしゃった。「いくつになっても勉強するのはいいものですよねえ。・・・」
◎くだけた日本語で書かれた訳&解説が特徴です。
論語の教訓の今日的な意味を楽しむことができます。
出版社の紹介文
今この時代に読み直したいまったく新しい「論語」。「論語」は、古臭い保守的な書物ではなく、衝撃的で前衛的な革命の書だ。二千数百年にわたり、東アジア全体で読み継がれてきた最大の古典が「論語」だ。現在の日本でも多くの人たちが「論語」を愛読しており、現代語訳や注釈の書も数多く出版されている。そのなかで本書は、著者が従来の「読み」にとらわれず、あらためて「論語」と向き合うことで生まれた異色の超訳である。読者はこれまでの「論語」のイメージを一新する言葉の数々に驚くに違いない。そして心を揺さぶられ、行動を変えずにはいられないだろう。
学而第一(1)第1節の訳:
何かを学ぶことは危険な行為だ。
なぜならそれは、自分の感覚を売り渡すことになるから。
しかし、学んだことを自分のものにするために努力を重ねていれば、あるとき、ふと本当の意味での理解が起きて、自分自身のものになる。
学んだことを自分自身のものとして、感覚を取り戻す。
それが「習う」ということだ。それはまさに悦びではないか。
◎紹介文にあるように、驚きや気づきをもたらす訳が含まれています。
この学而第一(1)第1節の訳にも驚かされました。
序文には、「本書は、徹底して客観的たらんとしつつ、同時に、徹頭徹尾、主観的な書物である。」とあります。上質の論語の主観読みに触れることができます。
出版社の紹介文
「三国志」研究の第一人者による訳注。三国時代に著された『論語』現代語訳の文庫版!孔子とその弟子の言行録である『論語』は、これまであまたの解釈本が読み継がれてきた。そのうち完全に残る最古の解釈本が、何晏(かあん)の『論語集解(ろんごしっかい)』である。三国時代に著され、本来の孔子や初期儒家の考え方に近いといわれる。
学而第一(1)第1節の訳:
孔子が言った。「学んで適切な時期にこれを復習する。悦ばしいことではないか。・・・」と。
古典的な論語解釈がどのようなものなのかを知ることができます。
現代語訳をみると、古いという印象はありません。
今回はここまでです。