論語を楽しむ

論語を楽しみ、良識を豊かにするブログです。

第2回 論語を楽しむための基礎知識

本ブログで論語を楽しんで頂くために、事前に知っておいて頂きたい知識について述べます。

 

孔子とその時代

論語の主役は孔子ですので、孔子とその時代に関する基礎知識を持っておきましょう。

孔子(前551〜前479)は中国の春秋時代(前770年―前403年)の人です。

約2,500年前に活躍した人です。

当時の日本で言えば、縄文時代弥生時代ですから、かなり昔の人です。

魯 (ろ) 国の曲阜(きょくふ)に生まれ,魯国に仕え、倉庫番や牛馬の世話係を担い、徐々に頭角を現わしていきます。

孔子の関心は学問にあり、「15歳で学問で身を立てることを志した」と語っています。やがて、孔子の広い学識は世に知られるようになり、孔子の元で学びたいと願う者がたくさん集まるようになります。その数3,000人とも言われています。

孔子が担ったものを現代の職業で言えば、官僚、学者、思想家、教育者、コンサルタントなどが挙げられます。

 

孔子が活躍したのは周王朝(BC1046-BC249)の時代です。

周は自らを本家として、姻戚関係にある者などを分家として、領土(国)を与え、封じて、王朝全体の秩序を保つという、封建制を採りました。

孔子が生まれた魯国もそのような国の一つで、周王朝の初代の王である武王の弟・周公旦(しゅうこうたん)の子である伯禽(はくきん)が封じられたことでできた国です。

封建社会の基本は、身分を明確にして、身分間の秩序を保つことで社会の秩序を保つことにあります。ところが、諸国の中から力を付ける国が次々と現われるようになり、身分と力関係のバランスが崩れていきました。また、国の中でも、王よりも力を付ける家臣が現われてきました。そうして、本家の周王朝は衰退に向かっていきました。

孔子が生きたのは、そういう、身分と力の逆転、いわゆる下克上が始まった時代でした。

 

孔子には理想とする社会がありました。それは、周王朝が始まった頃の社会でした。

周は、その前の商(殷)による神権政治、統治者の占いを基にした統治を改めました。

孔子は、当時の文献から、周の統治の方法、考え方を学んで、下克上で崩壊しつつある社会の秩序を、その方法、考え方で、立て直そうと努めました。

 

孔子は魯国で王の補佐をして、封建秩序の立て直しを試みましたが、有力な家臣達(三桓氏(さんかんし))と対立し、失敗しました。

そして、魯国を離れ、自分を活かしてくれる王を探しに、弟子達と諸国を巡る旅に出ました。孔子達を歓迎する国はありましたが、孔子を登用する国はありませんでした。

孔子達は目的を達成できずに、魯国に戻りました。

魯国に戻ってまもなく孔子は亡くなりました。

 

孔子の教えと論語

孔子の死後、弟子達はバラバラになりましたが、その中に、孔子やその有力な弟子の教えを伝えようと、彼らの記憶を基にして、それらを記録した弟子達がいました。その記録が論語の基になりました。

下克上の機運は勢いを増し、いくつかの有力な国が覇権を争う時代(戦国時代)に入りました。その中の秦の始皇帝が中国を統一しました。

秦は封建制を廃止して中央集権制を採用しました。

周王朝を正統とみなす孔子は、秦の正統性を否定する立場にありますので、始皇帝孔子の教えを継承する儒者たちを迫害しました。

始皇帝の死後、社会が乱れ、漢の劉邦が中国を統一しました。

漢は、秦とは逆に、孔子の教えを積極的に利用しました。

儒者を厚遇し、孔子の教えに関係する文献を整備し、儒教を国教にまでしました。

論語も漢の時代に整備され、現在の論語の基になりました。

論語の注釈(解釈)も整備されました。

論語のそうした背景を考慮すれば、論語に、漢王朝の統治に都合のよい解釈が織り込まれた可能性があることは容易に想像することができます。

 

漢王朝以降、論語に関して大きな影響があったのは宋の時代でした。

南宋儒学者である朱熹(1130 - 1200)がまとめた論語の注釈書『論議集注(ろんごしっちゅう)』は、その後の論語解釈の定番になり、現在、日本で見られる論語本の多くが、『論議集注』を参照していると言われています。

こうして、孔子の死後も、論語本を通して、孔子の考えは現代にも伝えられています。

 

論語の特徴

論語孔子の教えが記されたものですから「封建制の秩序」が重視されているという特徴を持ちます。そのため、論語は身分制社会の秩序維持に利用されてきました。

また、論語儒教の経典のひとつですから、儒教を学ぶための教科書として利用されてきました。

こうした背景から、論語を学ぶことは、封建社会/身分制社会を肯定することである、あるいは、宗教(儒教)を学ぶことである、という先入観を持たれてしまうこともあるようです。

論語は知的な道具ですから、その道具の使い方によってはそうなりますし、使い方によっては、そうではない使い方ができます。

本ブログでは「良識を養い、豊かにするための知的な道具」として論語を用います。

以下に示す論語の特徴があることにより、そのことが可能になります。

 

まず、孔子が重視したテーマが「善き社会、善き生き方」であるという特徴です。

そのテーマは、社会の制度や宗教的な信念に関係なく、今の私たちにとって、関心の深いテーマです。

もうひとつは、孔子は「根本(あるいは本質)」を説き、それに目を向けることの大切さを説いている、という特徴です。

孔子が説く「根本(あるいは本質)」の中には2500年経っても変わらぬものもあります。

こうした特徴は哲学の特徴として捉えることができますので、孔子は哲学者とみなされることがあります。論語を東洋哲学の哲学書とみなすこともできます。

 

とは言え、2500年前に生きた人の言葉ですから、当時の言葉の意味/意義を今の私たちにとっての意味/意義に写像するためには工夫が必要です。

本ブログの第1回で紹介したように、下村湖人は「論語の皮(周代の皮)を剥いて、論語の果実を取り出して、味わう」という方法を推奨しています。

本ブログはその方法を採用します。

それができるは、論語に次の特徴があるからです。

 

それは、論語の、ひとつの章、ひとつの文は短く、「余白」が大きいという特徴です。

意味/意義を取り出すためには、その余白を想像によって補わなければならないのです。

そのような余白を補う際に必要なのが「関心」です。

封建制の秩序に関心があるなら、その関心を満たすよう余白を補うことができます。

儒教に関心があるなら、儒教の世界観を満たすよう余白を補うことができます。

「今の私たちの良識」に関心があるなら、その関心を満たすよう余白を補うことができます。本ブログは、そのように余白を満たします。そうすることで、2500年前の言葉の意味/意義を現代に写像します。

 

その関心は主観的なものですから、人それぞれです。それぞれの想像力次第です。

そのような想像力を発揮して、論語の様々な解釈を楽しむことができるのです。

 

孔子の真意、つまり、孔子が何を考え、何を語ったのか、その客観的な事実が分かっていれば、その事実に基づいて解釈できるだろうと思う人もいるかもしれません。

論語の成立過程から分かるように、そもそも、論語に書かれている通りに孔子が語ったのかどうかという事実さえも分からないというのが現実です。

孔子の真意」という客観的な事実を論語自体から読み取ることは困難です。

 

そうした客観的な事実が大切な「関心」もあるでしょうが、本ブログが大切しているのは私たちにとって意味のある「論語の果実」であり、そのような客観的な事実は重要ではありません。仮に、「孔子の真意」であったとしても、それが本ブログの関心に沿わないものであれば、それを「論語の皮」として剥いて捨てます。

本ブログでは、そのような姿勢を採りながら、さしあたって、論語は「孔子の語った教えが記されたもの」とみなして鑑賞します。

 

2500年前の言葉の意味/意義を現代に写像する

2500年前の言葉の意味/意義を現代に写像するということを事例で補足します。

孔子が描いた理想社会は身分制社会における理想社会ですから、それをそのまま写像しても、現代の民主主義社会には意味/意義を持たせることはできません。

ですから、身分制社会固有の言及に関しては、「論語の皮」として剥いて捨てます。

下村湖人が言うように、それを捨てても「論語の果実」はたくさん残ります。

たとえば、孔子は、為政者、特に、統治者のあるべき姿や心がけなどを説きます。

身分社会においては、為政者は民とは身分上、明確に区別されていました。

現代の民主主義社会では、民が主権者であり、民が為政者を選びます。

そこで、孔子が説く為政者のあるべき姿や心がけなどを、為政者を選ぶ民(有権者)のあるべき姿や心がけとして変換して、今の私たちにとっての意味/意義に写像します。

そうして「論語の果実」を取り出します。

 

論語と宗教

本ブログでは、論語から宗教(ここでは儒教)を学ぶことはしない、ということについて補足します。

宗教の教えの特徴は「理性では認識できない世界」、たとえば、「死後の世界」なども教えに含めるという点があります。

その「死後の世界に対する世界観」がそれぞれの宗教の特徴にもなっています。

「死後の世界」の存在は理性では認識できませんので、肯定することも否定することもできません。宗教では、その宗教が持つ「死後の世界の世界観」を「正しい」と認識することを求めます。それが、その宗教の教えの前提になります。

本ブログが関心を寄せる「良識」はそのような前提を置きません。

もし、論語の中に、そのような世界観を前提とした言及があれば、それを「論語の皮」として剥いて捨てます。

 

たとえば、論語における「孝」という要素道徳は、祖先崇拝に基づく道徳です。

儒教の「死後の世界の世界観」が反映された要素道徳です。

したがって、本ブログでは、それに関係する部分を「論語の皮」として剥いて捨てます。そうして「論語の果実」を取り出します。

 

そもそも、孔子の関心は、現実に向き合い、実践することにあることが論語を読むと理解できます。

孔子は、弟子の子路から「(死後に)鬼神にどう仕えたらよいか」と聞かれ、「生きている間のことも分からないのに、死んだ後のことなど分かりようがない」と答えています。

そうした孔子の言葉を集めた論語は、実践の書としての側面を持つ書と言うことができます。

本ブログは、その側面に注目します。

 

今回はここまでです。

 

参考

孔子やその時代の情報は、多くの文献、ネットの情報を参考にさせていただきました。

代表的な情報源を挙げます。

・「コトバンク 旺文社世界史事典 三訂版「孔子」の解説