論語を楽しむ

論語を楽しみ、良識を豊かにするブログです。

第6回 学而第一(3) 巧言令色、鮮し仁

学而第一(3)を鑑賞します。

本ブログを初めて読まれる方は、第1回、第2回を先に読んで頂ければと思います。

 

今回のテーマは「巧言に騙されない」です。

言葉の巧みな詐欺師に騙されて被害に遭う人々はたくさんいます。

巧言に騙されないための教訓は意義があります。

特に、戦争のプロパガンダに騙されないための教訓は、今の私たちにとって意義があります。

 

今回は、本章の鑑賞を通して、「巧言に騙されない」について考え、「論語の果実」を見いだし、味わい、楽しみます。一緒に楽しんで頂けたら幸です。

 

学而第一(3)

 

書き下し文:『論語 (漢文叢書)』WIKISOURCE

子曰く、巧言令色、鮮(すくな)し仁。

 

訳:下村湖人『現代訳論語』青空文庫

 先師がいわれた。――

「巧みな言葉、媚びるような表情、そうした技巧には、仁の影がうすい。」

 

はじめに下村の訳を鑑賞します。

特に補足もなく、書き下し文の頭から訳しています。

そのまま今の私たちに通じるでしょう、ということでしょうか。

たしかに、「巧みな言葉、媚びるような表情」と「仁の影がうすい」からは、似たような不快感を覚えます。

その意味で「孔子のおっしゃる通り」と共感する人は多いでしょう。

 

訳はここまでで、その先にある教訓には言及していません。

 

ここからは主観読みで鑑賞します。

本ブログの趣旨に従って「論語の果肉」を取り出して味わいます。

そして、実践に結びつく教訓を見いだします。

 

なお、本ブログでは「仁」を次のように捉えます。

 

「仁」は、先験的な価値観に基づく価値観であり、その価値観に基づく実践である。

その価値観には次のようなものがある。

・人を思いやる

・助ける(特に、子供など立場の弱い者に対して)

・協力する

(第5回 学而第一(2) 君子は本を務む を参照)

 

「巧言だ」と直ぐに分からないから巧言

 

まず、ここからは「巧言」にのみ注目します。

「令色」についての考察は「巧言」についての考察をそのままあてはめることができますので割愛します。

 

本ブログでは巧言を次のように捉えます。

巧言とは、「ウソなど悪意を含む言葉であるにもかかわらず、その悪意が直ぐには分からない巧みな言葉」のこと。

 

レトリックやプレゼンテーション上の技巧とは区別して、悪意を含む巧みな言葉を巧言と呼ぶことにします。

 

巧言の特徴に注目して巧言を識別する

 

では、巧言を識別するにはどうしたらよいでしょう。

その方法の一つとして、巧言が持つ特徴に注目する方法があります。

その特徴が確認できたら、それは巧言だ、とみなす方法です。

 

孔子は「巧言の特徴は仁を欠くことである」と指摘します。

つまり、「仁を欠くこと」に注目すれば、以下のように巧言を識別できます。

 

「少なし仁。それ、すなわち巧言なり」

 

「仁を欠くことを正当化する主張は巧言である」ということです。

 

もちろんこの教訓だけで全ての巧言を識別できるわけではありません。

しかし、この教訓で、私たちが最も注意すべき巧言を識別することができます。

 

戦争は最も注意すべき「仁を欠くこと」

 

最も注意すべき「仁を欠くこと」は戦争です。

まず、戦争が「仁を欠くこと」であることを確認しておきましょう。

 

戦争は殺し合いですから、戦闘の現場は悲惨です。

手足が吹き飛ばされ、血まみれになった人たちが何人もみられます。

そうした人々を何人もみながら、「殺さなければ殺される」という状況に長く置かれてしまえば、人間性を維持できなくなる人もあらわれるでしょう。

戦争は人から命、人間性を奪います。

 

どの国でも、国民の多くがそのことを理解していています。

そして、「戦争は、人としてやってはいけないことだ」と認識しています。

 

そのような戦争を容認するということは、人から命を奪うこと、人間性を奪うことを容認するということです。

それを認めたら「人間として終わり」です。

それが、二つの大きな世界大戦から学んだ現代人の基本的な認識です。

 

プロパガンダは最も注意すべき巧言

 

プロパガンダとは、特定の考えに向かわせるための宣伝活動のことです。

特に、国の権力者が、自分たちにとって都合の良い考えに誘導するために行う宣伝活動を言います。

 

繰り返しになりますが、どの国でも、国民の多くは戦争を望みません。

そのため、戦争をしたい国の指導者は、国民を戦争に向かわせるためのプロパガンダを展開します。戦争を正当化し、美化し、戦争に反対する人々を悪人に仕立て上げます。

 

国民の多くは戦争を望まないのですから、プロパガンダに騙されることなく、戦争に反対しそうなものですが、現実は、そうはいきません。

戦争のプロパガンダに国民は簡単に騙されるのです。

そして、「非人道的行為に反対!」という理由から「非人道的行為」である戦争を支持する、という笑い話のようなことが現実に起こるのです。

その実例をみてみましょう。

 

アメリカのイラク侵攻とプロパガンダ

 

アメリカのイラク侵攻の事例です。

2003年3月20日アメリカはイラクに武力侵攻しました。

アメリカのブッシュ大統領(当時)はイラク大量破壊兵器を持っていると主張し「人道、自衛」を大義名分にしてイラクに武力侵攻しました。

アメリカ政府の強力なプロパガンダによって、多くのアメリカ人がその大義名分を信じ、武力侵攻を支持しました。

しかし、戦争終結後、イラク大量破壊兵器は見つからず、その大義名分はウソであったことが明らかになりました。

 

これは、特別な事例ではありません。

プロパガンダに関する歴史的な教訓を確認しましょう。

 

ナチスプロパガンダ

 

ナチスドイツ国民を戦争に駆り立てたプロパガンダについて、ヒトラーの後継者とも言われた政治家、ヘルマン・ゲーリング (1893~1946) が、ニュルンベルク軍事裁判(1945~1946)で次のように語っています。

 

もちろん、一般市民は戦争を望んでいない。

しかし、結局、政策を決定するのは国の指導者達であり、

国民をそれに巻き込むのは、常に簡単なことだ。

自分達が外国から攻撃されていると説明するだけでいい。

そして、平和主義者については、

彼らは愛国心がなく国家を危険に曝す人々だと公然と非難すればいいだけのことだ。

この方法はどの国でも同じように通用するものだ。

 

ドイツ国民をプロパガンダで洗脳した当人の言葉ですから、説得力があります。

ゲーリングの言葉からプロパガンダに騙されないための教訓を取り出してみます。

 

教訓 プロパガンダに関して認識しておくべきこと

・国の指導者の中には戦争を望む者がいることがある

・そのような指導者はプロパガンダで国民を戦争に向かわせる

・そのプロパガンダには美辞麗句が織り込まれる

 ・「国を守る/愛する人を守る/愛国心」、など

・そのプロパガンダは、平和を守ろうとする人々を「愛国心がない」と非難する

・そのプロパガンダに対する警戒心がないと簡単に騙されてしまう

 

この教訓の通りにイラク戦争プロパガンダに人々は騙されてしまいました。

そういうことが繰り返えされている、という現実を認識することが大切です。

戦争のプロパガンダはそれだけ強力だということです。

 

現代の戦争の特徴とプロパガンダ

 

なぜ、戦争のプロパガンダは強力なのでしょうか。

それを考察するために、現代の戦争の特徴をみてみましょう。

 

歴史的に観ると、これまでは、支配の拡大、資源の略奪、宗教やイデオロギーの対立、など、様々な理由で戦争が行われてきました。

しかし、二つの世界大戦を経験した現代人は、戦争がもたらす非人間性に対する認識を深め、国家間の問題を解決する手段に武力を用いることを下策とみなすようになりました。それは『孫子の兵法』が書かれた昔からよく知られた認識です。

したがって、現代では、よほど無能な指導者でない限りは、国家間の問題を武力で解決しようとはしません。

 

それにもかかわらず、現代でも戦争がみられます。

その現代の戦争の特徴は、ビジネスのための戦争という点にあります。

 

戦争で金儲けしようとする人々がいるのです。

国民のためではなく、特定の個人や組織のための金儲けです。

その特定の個人や組織が、戦争ビジネスのために国を動かし、人々を戦争に巻き込みます。

その戦争ビジネスに関わる人々は「戦争屋」と呼ばれています。

 

戦争屋は、戦争によって得る巨額な利益を見込んで、大金を払って人々を動かします。

お金で動く政治家、マスコミ(新聞、テレビなど)関係者、専門家、著名人はたくさんいます。

戦争屋は、彼らを使って強力なプロパガンダを展開します。

政治家、マスコミ(新聞、テレビなど)、専門家、著名人が言うことを鵜呑みにしている人たちはたくさんいます。そのような人々は簡単に騙されます。

 

さらに厄介なのは、彼らが「ウソ」を「事実」として捏造することです。

彼らは、戦争を仕掛けたい相手がいかに非人道的であるかという「ウソ」を「事実」として捏造して、「非人道に対する戦い」という大義名分を掲げ、人々を扇動することがあります。

ライラという少女がアメリカ議会で語った「ライラ証言」がよく知られています。

ライラという少女は、イラク軍がクエートで子供に対する残虐行為をした、と証言したのですが、後で、それがウソであったことが分かりました。

公的な場で少女がウソをつくはずはない、と思い込んでいたアメリカ国民は簡単に騙されました。

アメリカ人に限らず、公的な場でのウソに騙される人はたくさんいます。

 

AIが進化して、真実味のあるウソの映像が簡単に作れるようになりました。

それがプロパガンダに使われたら、ウソの映像を真実と思い込み、簡単に騙される人々が、益々増えていくでしょう。

 

現実的に「戦争屋が展開する強力なプロパガンダの巧言を見抜くことは困難である」ということを理解できたでしょうか。

 

「ならぬことはならぬものです」という強い意志を持つ

 

戦争屋が展開するプロパガンダの強力さはカルトの洗脳と同じです。

カルトの洗脳から身を守る方法の一つに「カルトに関わらない」があります。

それは「戦争のプロパガンダを門前払いする」という方法です。

 

本章の教訓に戻りましょう。

 

「少なし仁。それ、すなわち巧言なり」

という教訓です。

 

この教訓を「戦争のプロパガンダは門前払いしなさい」という教訓として見直してみましょう。

 

教訓

ある主張を聞いたとき、その主張が「仁を欠く行為(戦争)」を正当化する主張だと確認できたとします。

「仁を欠く行為(戦争)」は「してはならない行為」ですから、その時点で「してはならない行為」を正当化する主張は巧言であると確定します。

巧言だと分かったのですから、耳を貸す必要はありません。

「仁を欠く行為(戦争)」を正当化する主張は門前払いしなさい。

 

戦争の正当化だと分かった時点で、戦争のプロパガンダを門前払いすれば、プロパガンダには騙されません。

 

ここで大切なことは、「プロパガンダを門前払いする」ということを強い意志で行わなければならないということです。

迂闊に門を開いてプロパガンダを受け容れると直ぐに騙されます。

 

マスコミ(新聞、テレビなど)の報道にも、大物政治家、専門家、著名人のプロパガンダに耳を貸さず、彼らに騙された大衆に迎合せず、「人の話を聞かない非国民」などの批判にも動じない強い意志が必要です。

 

「ならぬことはならぬものです(会津藩什の掟より)」

という強い意志がそれです。

 

「仁を欠くこと/人の道から外れたことは行ってはならない」という強い意志です。

「(仁を欠くことである)戦争を行ってはならない」という強い意志です。

 

その強い意志があれば、戦争屋が展開する強力なプロパガンダに騙されることはありません。

 

日頃から「仁を欠くこと」に対する感度を高めておく

 

その強い意志を養うためには、日頃から「仁を欠くこと」に対する感度を高めておくことが大切です。

 

増税に対する感度を高めるのもそのひとつです。

昔から「民の生活が苦しいときの増税」は、典型的な「仁を欠くこと」として知られています。

江戸時代には、「五公五民」、今でいう国民負担率50%が、一揆が起こるラインであったと言われています。

経済格差が拡大し、貧困が増えていて、かつ、国民負担率が50%に迫る、そのような状況での増税は明らかに「仁を欠くこと」と言えるでしょう。

したがって、そのような増税を正当化する主張がみられれば、それは巧言とみなしてよいでしょう。

 

ならぬことはならぬものです。

 

その強い意志に基づいて巧言を見抜き、その巧言に騙されないよう行動しなければなりません。

 

最後に、取り出した「論語の果実」を、行動を重視する孔子の意図を汲んで、「実践を強調した教訓として表現」し、「訳を意識した形式」でまとめます。

 

本章の教訓

 

巧言は「仁を欠く」という特徴を持つ。

したがって、「仁を欠く」という特徴から巧言を識別することができる。

「少なし仁。それ、すなわち巧言なり」である。

 

戦争は仁を欠く行為である。

したがって、戦争を正当化するプロパガンダは巧言である。

巧言に耳を貸す必要はない。

戦争のプロパガンダは門前払いしなさい。

 

それを、強い意志を持って実践しなさい。

「ならぬことはならぬものです」という強い意志である。

 

その強い意志で、仁を欠くことや人の道から外れたことを正当化する主張を巧言として門前払いしなさい。

 

それが、巧言、特に、強力な戦争のプロパガンダに騙されないための、実践のひとつである。

 

今回はここまでです。